雑多なブログ

音楽や語学、プログラム関連の話題について書いています

「私」と言う輪郭がかろうじて維持されているという感覚。

「私」という感覚があって、かろうじてそれが保たれているという感覚を日々感じている。

私が考えている。 私が行動している。 私が仕事をしている。 私が怒っている。 私は混乱している。

そういった感覚が起こりつつも、それがどうした?という風に感じる節がある。私にそれが起こっている、という感覚が曖昧になっている。「私」という実感がない。ただ、そういった事が起きているという感覚。表現が難しい。言葉で表すと、誤解されそうな感覚だと思う。そもそも、「私」という感覚の実体はどこにもなさそう。五感=私の感覚というところに疑念がある。

改めて、「私」という感覚が何なのかというところに意識を向けている。なんというか、「私」という感覚は、ドーナツのように真ん中が空いているような。輪郭はあるけれど、中身がないような感覚。

日々欲求は生じる。 選り好みの思考は起きる。 めんどうな事を避けようと抗っている。

それでも、ドーナツの真ん中のように空白の部分が理解できずに、妙な違和感を感じながら生活している。