雑多なブログ

音楽や語学、プログラム関連の話題について書いています

長時間練習した事で安心したい心理

何時間練習した、とアピールする人がいる。 また、自分も何時間練習した、という単位で練習の成果を確認してしまう事がある。

でも、練習時間ってあまり意味のない事だと思うようになった。

そもそも、何時間練習したというのは、ある意味で集中力はすごいかもしれないけれど、本当に練習する事にフォーカスしていたら、どのくらいの時間練習していたかどうかなど気にならなくなるように思う。

つまり?

実際の練習の成果、練習の質がどうであったかよりも、定量的に測れる練習時間、具体的にこなした量(練習曲なら何曲やった、とか)を見て安心したいという心理が働いているのだと思う。練習した事によって成長したという確信が持てていないからそうなるのだと思う。

オチはありません(笑)